たまたまTVのチャンネルを切り替えていたら、最後の30分ほどの走りを見る事ができました。いろいろ大変だったのだろうと思いながら、拍手を送りました。
2年前の「東京国際」での敗戦でアテネ五輪代表の座を逃し、五輪2連覇の夢が断たれた。失意で、一時は引退も考えたという。しかし「失敗したまま終わりたくない」と、再起を決意。今春にはより厳しい環境に身を置こうと、小出義雄・佐倉AC代表から自立した。以後は過去の練習日誌を参考にして試行錯誤しながら、専属の練習パートナーやトレーナーらを集めた「チームQ」とともに米国合宿を進めた。帰国翌日の今月11日に肉離れして4日間練習ができなかったが、「東京で走らなければ何も始まらない」と強行出場。レース中も痛む右脚には「お願いだから最後まで(無事で)持ってね」と語りかけていたという。